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軽蔑

2011.06.09.Thu.00:35
「フィッシュストーリー」で思わず、これは!と思ってしまい、気にかけている高良健吾の主演だ。共演は鈴木杏。
まあ、高良君がこのごろますます良いのもありましたが、5月28日に「プリンセス・トヨトミ」を見に行って、そのあと行かなきゃ良かった「パイレーツオブカリビアン」を見に、川崎TOHOに行ったところ、思わず吸い込まれるように、見てしまったんですよ、ポスターを。
「軽蔑」、うっすらと、高良健吾の「情熱大陸」で撮影シーンが映ったようなフラッシュバック。そして、独特の空気感のある蜷川実花の写真に、やられてしまったわけです。上映がその日にしていたらそのまま「パイレーツ」はパスしていたのだけれど、6月4日限定公開って書いてあるじゃない。限定ねえ。もう記憶に刷り込まれました。

で、6月4日は疲労困憊休養日だったので、5日、行こうかなあって考えてネットを見たら、ありゃあ、あと10分ちょっとででなけりゃあと言う時間。必死になって出かけました。
予告編は始まっていたけれど、まあ、セーフ。

内容は知りません。ただ、ネットのニュースでナが回しがあることだけインプット。激しい性愛シーンもあるらしいことくらいで鑑賞。


ここからは、ネタバレ全開ですので、ご注意を。ネタバレというより、あらすじじゃん。




これは、後を引く映画です。
杏ちゃん、う~~ん、ひとつもいやらしくなくてどうしましょう?な感じでね。「クローサー」って言う映画で、確かナタリー・ポートマンもポールダンス踊っていた覚えがあるようなないような。

ただ、カズさんに手を引かれて思いっきり走って逃げた駐車場。クールにいったいなんなの?私は本気で踊っているのにと主張する。そして、きちんと誘ってくれなきゃ嫌だという。
この子のバックボーンが気になりだす。

そして、カズさんが素晴らしくイノセンスと言うか、ただ、マチチャンが好きなんだ、それだけだという直なところ。バカでダメで困った直球野郎なのに、非常に純で優しくて愛おしい。

つまり、二人の若さがただまぶしいのだ。
発熱したマチちゃんに「スプーンは?」「あ、忘れちゃった」って、指ですくってメロンを食べさせる。涙があふれながら食べるマチちゃん。なんと愛おしいシーンか。
「ボクひとりに見せて」(いいかげんだから違うかも)と、浴衣を脱ぐマチちゃん。その身体にはに合わない入れ墨(ホント、似合ってないんだよねえ)。激しいキスのあとの足を肩口まで担いで・・・。杏ちゃん、それでもいやらしくない。困ったもんだ。リアルなのになあ。

きっと、マチちゃんは苦労してここまで来ているんだろう。カズさんの実家には驚くばかり。こんなかっこうでと気にする。それに対して、まったくお坊ちゃんの放蕩息子のカズさん。

いきなり、何も言わずにきれいなマンションを手配する父親。このときは、遊びの女くらいにしか見ていないのだ。幼さの残る二人の新生活。カズさんはおじさんの酒屋の配達の仕事を得る。
まあ、これですんなり行くわけもなく、昔の仲間とつるみ、おじいちゃんのおめかけさんだった緑魔子のお店に入り浸る。緑魔子が緑魔子全開で、でも、往時の倦怠感はすでになく、カズさんとマチちゃんを溺愛してくれる唯一の味方だ。ただし、自身が古い慣習を是認するわけで、マチちゃんはそれはわかりたくはないのだ。

このマンションのきれいなベッドでの性愛シーンは、マチちゃんが上に乗って。でね、やっぱ入れ墨が浮いてるんだよねえ。で、やっぱりいやらしくないの。なんというか、スポーツに近いくらいの感じ? カズさんがティッシュで始末して、包み込むように抱くまで、この長回しは、リアルで、私的には好印象。いつもこういうシーンの終わりを見ると思っていたんだよね、そこじゃ終わんないでしょう?って。
若くてこういう直球の恋愛は、誰だってしているんだよね、きっと。盛りがつくように愛し合うって時は誰にでもあるんだよ。なけりゃあ不幸でしょう? 人間なんだから。男と女なんだからね。
こういう普通さと裏腹に、どんどん、状況は悪くなって行く。

両親に紹介して、一緒に食事に行こうって話して、それは簡単のことと思ったカズさんに、冷たく突き放すのは、父親だ。この小林薫の父親もダメな親だが、さらに悪いのは母親だ。きれいな着物を着て、きれいな花を生け、夫に従順で、さんざん息子を甘やかしておきながら、最後は突き放す。家族の愛情とはいったい何かがわかっていない。甘やかされて育つということと愛されて育つということは、まったく違うことなんだ。

さて、後半、話は加速度を増してヒドい状況になって行く。大森南朋が悪い。これは果てしなく悪い。とことんカズさんを追い込む。追い込まなくてはいられないのだ。親もヒドいが友達もヒドい。こんなダメな男のどこがいいんだ!

一度は彼の元を離れ、一緒になるのは無理と悟り、東京に帰ってくるマチちゃん。それではダメなバカなカズさん。一途なマチちゃんへの愛しか、彼にはないのだ。

派手な結婚式シーンは、そのあとの地獄の対比として、明るくどこか作り物めいている。

さて。いよいよのっぴきならなくなり、転がるように暗転して行くふたりとその周囲。
マチちゃんにぴしっと「五分五分」と話してからは、優しくしていたカズさんが、怖くなって無理矢理マチちゃんを犯す。やっぱりバカでダメな男だ。本当に。でも、わかりやすすぎて愛しいじゃないか。

新宿では、「お前はもう逃げろ」と言って、借金をチャラにして逃がしてくれた兄貴分がいたけれど、故郷にはもう頼れる人はいない。たったひとり、たよりとする父親と母親はふたりとも彼をこの期に及んで突き放す。最悪だ。まるで、原発建設でさんざん甘いこと言って金を撒いておきながら、事故が起こると責任は知らんぷりして、ぐるっと根回しよろしく、利権を守りたがる政治家のようだ。

ひどい仕打ちが次々と起こる。ここいらへんから大森南朋も加速する。

緑魔子の葬式からは、言ってしまおう。ここからは、ファンタジーである。
「なんでおまえはそんなに愛される?」大森南朋の思いは、カズさんの破滅しか見えてない。
もう、登場人物は彼らしかいない、周りのガヤは誰もいない、彼らだけのパラレルワールドなのである。それを前提に、脚本は書かれている。彼らだけの世界を撮っているのだ。

ここを勘違いして、リアルじゃないとか、どうのこうのというのは、まあ、そういうのが許せないとか言うのは自由だけど、そのために肝心な彼らの思いが理解できないのじゃ、見ていた意味がない。

高っ飛を決めて、「卒業」のふたりのように逃げるマチちゃんとカズさん。あちらは結婚式、こちらは葬式。
電車に乗るシーンから、カズさんがお茶を買う振りをしてマチちゃんだけ逃がすシーンから、タクシーで号泣するシーンは悲しかったなあ。

拳銃を使うのはもうわかりきっていたけど、大森南朋のフェイント、傷口をえぐるシーンが強烈だった。これは悪い。そして、銃を奪い返され「お前に撃てやしない」なんてダメなかっこつけをして、クズは散る。

さて、ここからアーケード街をそれでもマチちゃんを追って行こうとするカズさん。必死にマチちゃんを追う。つまり、大森南朋を襲うのは、あくまでも逃げるため。マチちゃんと生きるためなんだよね。バカだよねえ、ほんとに。
どうやって帰ってきたのか、マチちゃん。そこは、ほらファンタジーなんだから。
タクシーの白いシートカバーがまぶしく、血だらけのカズさんとマチちゃん。
「こうなることはわかっていた」とマチちゃん。「私を見て」とマチちゃん。
マチちゃんを見ながら、幸せそうに息を引き取るカズさん。
このシーンをなぜ救急車じゃないとか言うのは、ねえ。ファンタジーなんだよ、若い二人の。
「こうなるしかなかった」若い二人の純愛映画なんだよ。

最後の最後に、鈴木杏はこれはたいした子かもしれない、と。マチちゃんは杏ちゃんしかできないと思った次第です。

長くなりました。
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