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大震災 その2

2011.03.19.Sat.12:00
3月16日 水曜日

東京新聞の朝刊に、東京23区(例外を除き)計画停電は行わないとの記事。静岡の地震は富士宮で震度6!
相変わらず5時半に起きて、7時を待って静岡の義母に電話。元気だ。よかった。
息子は夕べもいち早く電話をしたそうで、喜んでくれていた。

この日は、編集スタッフでスタッフ会議を行った。
地震以降のイベントはすべて中止となり、台割にも変更が多い。それでも、月刊誌は出して行かなければいけない。
この12月には40年を迎える雑誌なのだ。へたれてはいられない。

会議の中で、しかし、大きな事実がわかった。
版元が替わることになった。つまり、雑誌は存続するが、雑誌が変わるということだ。
当面のスタッフはこのままで移行するとのことだが、先はわからない。私たち職人の編集プロダクションスタッフの明日はわからない。そういう立場なのだから。
いやしかし、重大ニュースだわ~~~。こんなときに。
39年目の大事件である。言っとくけれど、私はずっと編集しているわけじゃないですよ~~。・・・29年くらいだけど・・・。
もちろん、今の版元には、今後の版元から移行したわけで、外側から見れば、元に戻るのね、ということなのでしょうが、現実問題はそうではない。

まあ、震災で被災された方たちと比べるのも失礼なくらいなことで、それでも私にとっては大問題ではあります。


3月17日 木曜日

寒い日だった。
朝、ランニングでは、真冬の冷え込みを実感した。
そのため、都内の消費電力が跳ね上がったらしい。

3時過ぎ頃、海江田経済産業省長官から、電力が不足しそうと言う談話があった。
そのあと、4時を回って5時半、東京電力のやっちゃんからメールが。大規模停電になってしまうかもしれませんと。その前から、やたら駅から何か放送している音が聞こえ、スタッフに「帰りなさい」命令を。
社長と話して、私もとっとと帰ることにした。

実は、買いたいものがあった。ここのところ、恵比寿駅ビルのアトレは、閉店、そして開店しても7時には終わってしまい、買い物ができないでいた。

この日は6時閉店。なんとか滑り込みセーフ! まずは、ハーブティーのお店で花粉症に効くハーブティー。そして本屋で「わたしの渡世日記」と「レボリューションNo.0」。ゲット!

山手線のホームはかなりの混雑だったが、なんとか1回待って乗れ、目黒戦はさくっと乗れて、ロスなく大岡山へ。ところが! 乗換駅の大岡山はホームに人があふれ、改札入場制限が始まっていた。スーパーはもうやってなさそうな雰囲気だったので、よらずに帰宅。
そうしたらね、お豆腐屋さんが開いていて、普通に買えました。そして、肉屋さんも普通に開いていて、(ここの総菜はおいしいのよ!)牛肉のたたきとひじきの煮物を買って帰る。ああ、そうかあ。6時に定時で帰れれば、こうやって買い物ができるんだなあ(涙)。いつも帰るときは8時だ9時だだし、開いていないのよ~。何だか幸せを感じた。こういう生活が送りたい。

そんなわけで、夕飯は、レトルトだけど、ふきと筍の炊き込みご飯にヒジキの煮物、牛のたたきに湯豆腐。夫と日本酒飲んで、いつもより素敵な夕食だった。

いつものように生活するのが大事と、平常心をと思って、こう見えても気合いで暮らす地震後だが、いつも心の中では、申し訳ない、被災者の皆さんのことを考えると申し訳なさが滲んでいる。きっと、きっと、みんながそうだ。
だからといって、できることは、節電とか義援金を送ることくらいしかない。
節電は、リビングの電灯を半分にしたり、いろいろ微々たる努力をしている。義援金も日本赤十字社に送った。
それでも、やっぱり、どこかに申し訳なさやできることがないことのやるせなさがおおっている。

3月18日 金曜日

昨日は、なんとか大規模停電を免れてよかった。今日も寒いが、多くの会社で自宅待機が増えているようで、恵比寿が異常に静かだったとお昼を食べて帰ってきた社長が言う。私は、最近早く起きるし、夕飯のおかずも詰められるので、お弁当持ってきている。
みずほ銀行では、ATMが使えないと言う、「こちらのまったくの不手際」が起きている。

さて、原発は、決死の作戦が続いている。
最初に12日に建て屋が水素爆発した第1号機、14日に水素爆発した第3号機、15日には第2号機で圧力制御室で爆発、原子炉容器損傷、同日4号機の使用済み核燃料プールで爆発炎上、16日4号機で火災、5、6号機の使用済み核燃料プールでも水温上昇。
毎日毎日、ひどくなる状況に、最初は驚いていたのが、いつの間にかあきらめの気分になっている。もちろん、なんとしてもこれよりひどいことにならないように願いながら。


3月18日

そんな中、自民党総裁の谷垣が、「原子力政策の推進は難しい状況になった。事故を速やかに総括・分析し、新しい対応を打ち出さないといけない」と発言。これまでの原発推進を変更し、統一地方選でのマニュフェストに盛り込むことを会見した。これに、私は激怒している。みそぎもなく、変えます? 
では、40年にわたりひたすら推進に推進を重ね、54機も国内に原発を作り続けた政策は、なんだったのだ。
どう考えても、この地震国で、原発林立は、ありえないことだっただろうよ。しかし、資源のないこの国で、効率を前面に出し、電力消費をガンガンにあおり、経済をバブルさせてきたじゃないか。ここ10年以上しぼんでいるようだが、現実には、東京には超高層マンションが乱立し、豊かに都市は巨大化し、オール電化オール電化と進んでいるのだって、すべて言ってみれば政治の主導ではないか。エコエコとやっぱ、心配だよね的に誘導するも、気がつけば、西日本では50パーセント、東日本では30パーセントが原子力発電に負っているまでにしたじゃないか。
原子力政策の推進は難しい状況になった、って、野党になったから平気な顔して選挙のためにほざくのか?

今朝の東京新聞、1面

都民に緊急調査
「原発に不安」88パーセント
国内の原発はどうするべきかに答え
「運転しながら安全政策を強化して行く」56パーセント
「いったん運転を止め対応を検討」25パーセント
「やめて別の発電方法をとる」14パーセント
・・・
という結果だ。
普通の都民のほうが、よっぽど冷静だ。選挙に出ないからね。
言っておくが、私だって、原発にはずっと不信感を抱いている。ほかの手段で発電して、その分不便してもいいやと思っている。個人的には。
しかし、そうじゃないと思う。政治家が安易に政策転換について、地震後1週間もたたないうちに発言する(つまり、選挙が近いからね。もう、東京にはポスター用の立て看板もできたし)。その相変わらずの神経が許せないのだ。

自民党一党支配で続けてきた政策の中で、この原発推進政策は、駄策であった。自然をなめていました。その責任は私どもにあります。反省しております。としっかりみそぎし、その上で、今後はもっとしっかり検討し、長期的な展望を国民に示してから、しっかりと原発推進を断念し、別の対応を考えるべき時にきた、としろよ。
いいかげんにいやがれ!

↑上記についての発言は、かなりぶちぎれていて、冷静じゃない状態で書いておりますので、悪しからず。
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