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虐殺器官/ハーモニー

2010.12.13.Mon.23:03
伊藤計劃

 今年読んだ本の中で、この2冊は、その衝撃度と面白さ、切実さ、哀しさとありとあらゆる思いが頭を駆け巡り、ほかを蹴散らしてしまった。

「虐殺器官」は、伊藤計劃のデビュー作だ。しかもこの作品が、小説賞の選に漏れたって言うのだから、ますます驚きだ。選に漏れたが、出版され、各賞をさらったのだ。
 私は、今年になって、本屋に並んだ文庫本を買って、読んだのだから、乗り遅れた。本当に乗り遅れている。
でもそれでいいのだと思っている。今がその読むときだ。というか、3年前に読んでいて、ここまでリアルに感じられたかどうかわからない。それくらい、どんどん今が彼に彼の頭の中の世界に追いついて行っている気がする。まさに、SF。
 その物語は、戦場での殺人を公然と行うための「脳」への操作と目の前に現れる少年少女兵を公然と殺す自分、そして、事故で脳死状態となった母の救命措置を切ったことを責める自分、そして、その自分が追いつめるべき、虐殺器官とは。
 こんなに繊細で暴力的な物語は、読んだことがなかった。たいへんな傑作だ。
 しかし、まだ若い青年が、死と向かい合い、それをかなり直球で投げかけながら、調べあげられた事実から構築される極すぐそこの近未来をシニカルに論理的に描く力が果てしなく、しかも、エンターテインメントとしているのもすごい。そして、最後のカタルシス。

 この小説の最後のカタルシスをきっかけに、世界が崩壊したそのあとに、訪れた病気のない管理された世界を描いたのが、「ハーモニー」。主要の登場人物は、「私」を含め女子3人。
 この女子3人の設定がすごい。
 名前もユニークで、聴覚的なのがいい。トァン、ミァハ、キアン・・・。
 SFなので、ストーリーをここで書いても意味がない。
 これは、読んでいてその性急さと切実さが、本当に切なくなった。

 伊藤計劃さんは、もうこの世にはいない。「虐殺器官」がデビュー作で、「ハーモニー」は完成された最後の作品だ。この本が刊行された3カ月後にはあちらの世界へ旅立っている。ま、私は、死は無であると思っていて、そんな私があちらの世界なんて言うのは、おかしいのだけれど、惜しくて惜しくて、そう思わなければ、いられない。私があちらに行ったら、そこで活躍している彼の作品に出会えるといいな、と。まあ、自分勝手な話だ。

 「ハーモニー」の最後は、「今回はこうしかできなかった」と語っている。
 若いんだと思い、若いのに、「死」と「これからの世界」と若い少年少女の「自死」と「医療」と「親子の絆」と「友情」と「復讐」とそれと・・・。どれだけの本を読み、どれだけ世界を考え、生きることと死ぬことと、生きたいことと死にたい人と、殺すことのできる人間と、死ぬことを選べる人間と、生きたいことと、生きることの本当の意味と、死ぬことと、家族と友人と、もっと知りたいいろいろなことと書きたい果てしない世界・・・。

 どんだけ、彼のなかで多くの思考が処理され、異常な速度で消化され、それを昇華すべく筆を執ったのかと。

 生きる時間は、絶対的な時間とは別のカウントがあるに違いない。思考もエネルギーなのだから、それも当然で。だからこそ、絶対的な時間がもっとほしかっただろうな。

 若い命が病で失われるのは、悲しいことだ。「虐殺器官」の最後の解説に、お母様の語った彼の最後が書かれていた。「カレーライス」を最後に食べられたのだそうだ。よかったな、食べられてから、亡くなったのは。お母さんへの最後の親孝行だったのかもしれない。

 伊藤計劃は書いた。癌で死ぬこともない、健康で文化的コントロールされた未来を。
 しかし、私は今の時代に生きているのがうれしい。伊藤計劃と今、出会えてうれしい。彼は、彼のテキストは永遠に生きるだろう。本とは、そういうものだ。人間の歴史のそのものなんだからね。
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