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初めての夏休み

2014.08.16.Sat.17:45
10日が台風の影響で荒天。予定を繰り下げて11日に群馬へ。
まずは、当該市役所に行き、こないだ出し損ねた書類を出す。
その後、病院へ。
その前々日主治医より電話があり、また、酸素摂取が減ってしまい、酸素マスク使用とのこと。
曰く、嚥下がうまくできなくて、食事を口から摂ることにリスクありとのこと。
1週間ほど専門スタッフにより評価を得て、胃瘻の見当と言う話になった。

話には聞いていた、胃瘻がこんなに早く・・・。
Aさんに電話して話を聞く。
できれば、好きなものを口から食べられるリハビリが可能ならと・・。

父は、あまり良さそうじゃない。
痰を1時間おきくらいに取らないといけない。肺炎はなかなか治まってくれない。

その日は、夕方実家へ向かい、実家で泊まる。
いやー、1年振りの実家は、ワイルドな庭になってました。
越冬中に、水道管は弟が占めたのだが、栓と水道のメーターとの間に亀裂が入って漏れ、大変な水道料に。
結局業者を頼んで漏れを直してもらった経緯がある。
こういうときは、しっかり業者に任せるべきです!
弟はその辺が全くダメ。
結局、家の中といえば、台所と洗面所の蛇口が使えなくなっており、話にならない。
庭も、何度か来ているのに、全く手入れせず、話になっていない!
あれほど頼んだのに。

したがって、これは業者に頼むしかないので、市役所でシルバー人材センターを紹介してもらい、電話し、草刈りと大雑把でいいので樹木の剪定をお願いした。
すぐに見に来てくれて、やさしいおじさまだった。請け負ってくれて助かります。

多少のお金はかかっても、きちんと見てあげなければ。
私が元気だったら、張り切って自分でやってしまうのだが、
(それもどうかと思うが)生憎と言うか、右手の腱鞘炎、バネ指でそんなことはできない。
それでも、玄関までの道を遮っていたトゲトゲの木瓜の枝をカットして、道は切り開いた。
何より驚いたのは、藤のツル。あり得ない成長振りで、あらゆる周りの樹木を覆い尽くし、ベランダの柱から屋根へと伸び、しまいには、雨戸のところまで触手を伸ばしている。恐るべし。
確かに、昨年の夏もツルが伸びていて、私がかなり短く刈り取ったのだが。1年は間を空けすぎたな。
とはいえ、父の介護をしながら、家の管理は無理だったし。

市役所では、家の中を整理して出るであろうゴミの処理について、業者を紹介してもらう。
レンタカーを借りたところで、荷積みや荷下ろしを考えるとやはり、業者に頼むしかないだろう。

誰もいない家は、怖かったなあ。居間で寝たんだけど、柱時計の(電池式)カチカチが気になって。時間は狂っているので、電池を取ってすっきり、
怖いとはいえ、今後、何度も通って整理しないといけないな。
弟はまったくあてにできないと悟りました。ひとりで頑張るしかない。

翌日、病院ヘ行くと、父は、息をするたびに、「あー、あー」と声が出てしまう状態。口腔のリハビリの担当の人が見てくれたが、痰がもう少し切れないと。。。とのこと。
話はできるので、父と、今日は御巣鷹の日だと話をした。「そうかあ」と父。
4人しか生き残らなかったんだよって言うと、何人のうちだ?と聞く。
524人のうちの4人、というと、目を大きくして驚きの表情。
29年前の12日、私は産休で実家にいた。群馬で起きた事故は、特別、強烈な印象を残している。
520名の尊い命をご冥福を心から改めて祈る。

午後、東京に帰宅。

翌日は、生まれてたぶん初めてレディースデイの特典を使って映画を観に行く。
仕事をしていると無理だもん。
映画は、確か、5月にアナ雪を見て以来。行ける状況ではなかった。
時間の問題もあるけれど、そういう気にならなかった。本も読む気になれないし、ランニングもする気になれない。父のことと仕事でいっぱいいっぱいだった。
退院して、施設に入れば、ようやく一息つくと思っていた私は甘かったな。

映画を堪能し、夫は帰省中でひとりのびのびと過ごす。

で、15日、昨日、息子と群馬へ見舞いに出かける。
その前に、母の墓参り。

父は、今度は、酸素はマスクではなく、鼻チューブで、それはよくなったそうだが、熱は38度。治まらない。
昼過ぎまで話をしていたそうだが、眠そうで、ほぼ言葉を発せず。
主治医の先生にお話をうかがい、嚥下の評価の結果、口からの摂取はリスクが大きすぎて、無理だと言う結論だ。胃瘻、といっても、体調が整って、検査をしてからだそうで、本人への説明もしてくださるとのこと。
そんな会話を父は寝ていて聞いていない。

近所のホテルで一泊し、午前中再び見舞う。
今度は、話をする。しかし、イマイチ、孫のことを認識できない感じ。
ボヤーと空を見つめている。
昼頃、帰る直前には、話ができたが、死にたいと言う後ろ向きな言葉。
どうも、点滴をフルで1日中しているのが嫌らしい。
取って、食べると言ってみたり。それはできないよ、というと、死んだほうがいいとか言う。
なんだかんだと話をするうち、孫のことも思い出したようで、よかった。

この辺は、今まで経験した順番どおり。少し持ち直してきたんだと思う。
足も動かして、起きると言うし、12日の状態から比べればだいぶいいのだ。
そうなると、自身の不自由さに(手を太ももの点滴をとったりしないようにグローブをいている)腹が立ってくる。
もう少しで、痰も切れて、調子がよくなるから、もう少し頑張ってね、父。

こうなってみると、東京の病院を退院させたのは、まだ早かったかなと思ったりもするが、
あの狭い病室より、今の大部屋のほうがずっと過ごしやすそうだし、いいように思う。看護師さんやリハビリの態勢もずっと整っている。何しろあの環境で、毎日かかる差額ベッド代1万円を考えれば、遠距離だって通える。
だから、もう少し頑張って。

しかし、体調が整ったら、今度は、胃瘻をどう、納得してもらうんだろうなあ。

食べたいだろうなあ。

でも、生きたいに決まってる。生きてもらわねば!
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