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山縣くん

2015.04.29.Wed.11:28
いきなり、君付けは失礼なのだろうけれど、彼は、私の中では、30年前の姿しかない。

昨日、もう夕方、夜、会社にいたら、ゆっこから携帯に電話。
尋常じゃない様子に、思わず、背中に怖気が走った。

号泣している。

山縣くんが亡くなったらしいという。
エベレストで、雪崩に遭って亡くなった男性が、彼だとわかったという。

なんという。

だって、ゆっこならそういうところに行ってもさもありなんと思うが、まったく彼とエベレストが結びつかない。

映画の録音部、いろいろな映画に携わっているが、まさか。
どうも、中国製作のドキュメンタリー映画のスタッフとして、行っていたらしい。
テレビ朝日で伝えられ、彼女の友人が連絡してきた。ネットで検索して、間違いないと。

もう、離婚して、20年を超えているし、最後に会ったのも20年前くらいだというが、ショックの大きさがハンパないようだ。

仲の良い夫婦でね。彼女にとって、一番幸せだった頃。

苦しい。

心からご冥福をお祈りします。

しかし、彼について、テレビ朝日以外では名前も一切出ていないのは、なぜかしら?

今回の地震は、阪神大震災を思い出させる。これから被害はますます数字として、増えて行くし、まだまだことは起こったばかり。

重くて苦しい。

さ、そんなこと言っていないで早く見舞いに行かなければ。

夫のリハビリ、停滞中。こちらもつらい。

頑張れって応援しているのが、通じているのかな?

話ができないって、本当に苦しい。
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まったく、なんてこった

2015.02.22.Sun.10:00
2015年は、始まった当初から、試練の年となった。というか、試練が始まったと思った。
父がようやく療養型病院へ入院して、かわいそうだけれど、最期まで居られるところにおさまったから、一安心した矢先。
実際、父はその後、月に2,3回は熱を出して、なかなか病状が治らないものの、ステロイドの量も減ったとのことで、血液の病気は、専門の先生に見守られ、経過は良くなっているようだ。遺伝子検査をしたらしく、後天性血友病とわかったらしく、100万人に一人の難病で、山形大学へ血液を50cc研究のために提供した。
そんな病気だったのか。
先日、担当医から弟に電話があり、胃瘻による流動食なのだけれど、唾液でも誤嚥性肺炎を引き起こすために、発熱のリスクがあり、静脈カテーテルによる点滴にしたいとにこと。
見舞いに行きたいが、行けなくて、ごめんなさい。

なぜ行けないか。

1月12日、成人の日、夫が脳内出血で倒れました。お誕生日からわずか一週間、60歳になったばかり。

50ccの出血が、脳のなかで起こった。職場で、本番中だった。夕方6時すぎのことで、本番も終わりの頃だったらしい。
この辺の時間が実際、自分でも曖昧。
家電に電話があった。
音響のまっちゃんから。

まだ救急車の救急隊員がいるときに、電話をくれた。

そのあと、ホールの担当の人が一緒に救急車に乗ってくれ、連絡をくれる。向かったのは、慶應義塾大学病院。これは幸運だった。
休日はやっている病院が少なく、医師も詰めていない場合もあり、幸運だった。

入院に必要と思われるものを持って、駆けつけたつもりだが、抜けている。あれこれ思いつかず。慶応と聞いて、変に落ち着いて、ホールの方に、漢字はどれと聞いたのは、私です。ほら、京王だったら、ね。

重篤だった。

脳内出血に加え、くも膜下出血もしていて、脳動脈瘤の疑いもあり、翌日は様子を午前中見て、カテーテル検査。結局、最悪の脳動脈瘤はなく、高血圧による、脳の毛細血管が破れた、とのこと。

左側の脳なので、右半身麻痺に、言語障害があると。

それからの一ヶ月、いろいろあった。辛かったよ。

脳動脈瘤はなく、手術しないで脳の腫れが治ればよかったのだけれどそうもいかず、結局、1月26日に、血腫を取り除く開頭手術を受けなくてはいけなかった。
その前に、慶應義塾大学病院の一般病棟へは、差額ベッド代が払えず、だって、1日最低3万7千円だって。1月19日に急性期転院を。荏原病院へ。これは、こちらにとっても好都合。よかった。

仕事よりこちらが優先だが、ちょうど校了直後で、バタバタしても、仕事は普通にこなせたからよかった。
荏原病院への転院のために責任者の先生との面談が、取材と微妙に時間がせっていて、5分ほど遅れたのだけが、やばかったけど。
偉い先生方が集まるアレンジの審査会で、さすがに焦って、病院からタクシーを飛ばしたが、運転手も察してくれて、ほぼセーフな感じで、ホッとした。

確か、荏原病院へ転院して、少しして、病状が落ち着かない頃、夜、昔から知っているプレイヤーの先生に、夫と同い年の人に電話していて、病気の話題になり、つい、話してしまい、泣いてしまって申し訳なかったのだけれど、励ましていただいたのは嬉しかった。
もちろん、会社の人は知っているが、クライアントにはまだ話していない。仕事は仕事だからね。これからも話すつもりはない。

倒れて、ICUの住人となり、荏原病院の脳卒中センターのSUから手術して再びICUへ。10日ほどして再び、SUに移り、そして、2月18日にようやく一般病棟の4人部屋へ。

お陰様で、リハビリモードに移行できました。


さあ、あとは、リハビリです。

来週、回復期リハビリテーション病院への転院を目指し、面談に行ってきます。
車椅子にも乗れるし、テレビも見られます。なかなか声が出ないけどね。

言語療法士によるリハビリも1週間前の月曜から始まっています。先週の木曜日には見学させてもらいました。


気長にね、頑張ってもらいますよ。

このまま、寝たきりなるのでは、とか思ったけど、ひかりがさしてきましたよ。

ようやく、ブログにも書けました。

仕事と介護の第二の人生に突入ですが、案外悲観も自暴自棄にもならないねえ。

みんなが私の体調を心配してくれるけど、しんどい時期第一波は凌ぎました。
お隣さんの友人や電話で話を聞いてくれる飲み仲間、ほかにも心配してくれる大学時代の同期も夫の兄さんたち、姉さんたちもいます。夫の仕事の仲間もいます。会社の社長もみんなが応援してくれています。
もちろん冷静な息子もいるし。

頼れる人にはガンガン頼って、無理はしません。

仕事も決して手は抜きませんし、いいものにします。

まだまだ実はこれからが大変だろうけど。
夫の友人たちにはどう話したものかとか、悩むけど。

私の経験は無駄にはならないし、夫を病気で面倒見るという意味では、これから人様のお役に立てるかもしれないし。

ということで、久々の更新がこんな話で、重かったけど、人生甘くはないのだから、お許しを。




退院間近に

2014.07.24.Thu.22:48
父が熱を出して、夕食後救急で入院したのが、5月17日。肺炎が怖かったのだが、むしろ貧血から具合が一気に悪くなり、血液内科のある大学病院に転院すること5月31日。
ようやく、ステロイドホルモンの投薬で落ちつき、退院の運びとなりそうだ。
7月に入りだいぶよくなったのも束の間、誤嚥によって、肺炎を起こしようやく今日、全粥に。
でも、薬は、とろみを入れた水を使用。
車いすから立ってベッドに自力で移れるまでになった。よかった。
ただ、どうも認知はかなり進行して、今、自分がどこで何をしているかが不明な感じ。
一昨日は、寿司屋にいるバージョンで、よほどお寿司が食べたいのだろうなと。
お夕食がゼリー1コという意味のわからない状況が数日続いていたのでさもありなん。

退院予定は7月30日。入稿の翌日だ。頑張れ、自分!
なぜか夏休み進行は激しく前倒しで、8月1日には校了。綱渡り。

お父さんは、私の家にはもう、戻らない。
どう考えても、フルタイムで両立は無理だ。

群馬に帰って、特養に入ることになる。お互いにそれが幸せだと信じる。
とにかく、病院はダメ。認知症に病院は、毒でしかない。
すぐに精神科の先生がおとなしくなる薬を出すんだから。
要介護2で歩いて入院した父が、2ヵ月後には要介護4で、今自分がどこにいるかわからない。

父の血液の病気は、自己免疫溶血貧血。
難病の類いだ。
それでも、ステロイドホルモンの投与で効くからありがたい。
投与の減量にもなんとか大丈夫そう。

そうすることがベストだとは思っているけれど、
胸中は複雑だ。
ほぼ、毎日、夜取材が入るか、深夜残業の日以外は見舞っていた日々。
仕事が終えて、夜病院に寄ることが日常で。

群馬の施設なので、年中は行けなくなる。
できれば週1、せめて2週間に1回は通いたいとは思うけど、
案外、放り出してしまうのかもしれない。

介護って、こんなじっさいのところ何もしていない私が言うのもなんだけれど、
その先にあるのが、ただひとつ、別れなのだ。
それは、やっぱり辛いことなのではないのかなあ。
どう前向きに考えられるのだろう。

大学病院に転院

2014.06.05.Thu.07:36
父が再入院し、貧血が深刻になって、ようやく、最初に受信した大学病院に転院した。
大変なのは、ようくわかったけれど、転院したその日、5月31日、本当に疲れきった。

昼に父を見舞い、主治医と話をして、フラワーアレンジメントに出かけるため、帰宅。1時半。
友人と徒歩で行く途中で携帯に主治医から電話があり、転院できることになったとのこと。2時。
炎天下、あわてて帰宅し(タクシーもつかまらず)、病院へも徒歩。2時30分。
そのとき、保険証などを入れたバッグにお財布を入れ忘れ(これが最悪)、そのかわり、PASMOを持ち(これは幸い)出かける。
病院に行くと、すでに荷物はまとめられていて、間もなく救急車で大学病院へ。3時15分。
救急に入るが、もの凄く混み合っていた。
受付し、廊下でだいぶ待ったあと、父は診察室へ。
延々、待つ。お財布忘れて、水分摂れず、飲料水飲み場を見つけ、1杯水を飲んだだけ。
17時半。看護師より説明。父の夕食はどうなるのだろう。もちろん、パス。
18時過ぎ、見てくれた血液内科のお医者様から説明。
あまり容体はよくない。ベッド待ちを告げられ、待つ。
20時過ぎ、診察室に入って、父の横で書類を書く。
21時過ぎだと思うが、ようやく救急病棟で入院。
22時半、帰宅・・・。たぶん、脱水。

なんとか、食事をして、水分を摂り、入浴し、
深夜に、友人に持って返ってもらったフラワーアレンジのお花を生ける。
よくわからないながら、適当に。だって、そうしないとお花もかわいそう。

とにかく、疲れた。

2日に髄液検査をして、骨髄異型形成症候群ではないとのことで、ホルモンステロイド投与の診療。
3日に救急病棟内の大部屋へ移る。
4日に血液内かの大部屋へ。この部屋が狭い〜〜〜。
父が見られるのは、間仕切りカーテンと天井だけ。
かわいそうに。かといって、差額ベッドの個室なんて、無理・・・。
頑張れお父さん。すでに、ほぼ寝たきりだが、食欲だけはある。頑張れ!

いったい、このあと、どうなるのだろうか。

父入院す

2014.02.18.Tue.22:02
新年は、息子のおごりで熱川の温泉へ(電車賃は私が出したよん)。
じいちゃん孝行のつもりでしたが、少し疲れさせてしまったのかな?

どうも年明けから少し風邪気味だったのか、体調が良くないのか、脳梗塞の後遺症の顔左側の痛みを訴え、医者に何度か行った挙げ句、熱が出て、肺炎に。
驚いた。

そして、入院。
入院までも騒動があったが、書くのも不愉快なので、スルーします。

で、1月30日の入院から、早19日。本日先生からの説明があり、肺炎は完治、リハビリしながら3月早めの退院を目指します。
でも、本当に大丈夫なのかしら?
よろよろだ。
歩けるのか? 気力があるのか?

もうひとつ、リンパ節も生体検査を。

何より、アルツハイマーが進んでしまっているのが気になる。

これからが、本当の介護が待っている気がする。
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